From Kobe 2011年9月  実りの秋が ついそこまで 
暑い夏 ふと頭をよぎったこと  2011.9.5.  by Mutsu Nakanishi

実りの秋が もう ついそこまで  播州平野の山裾で 2011.8.24.


1.鉄の歴史に 今の生き方を考える
    関東大震災の復興・原発事故の収束の試行錯誤が続く中 世界を覆う不景気 政治はあいもかわらぬ荒廃
 そんな中で ふっと頭に浮かんで 読み返してみた 鉄のはなし
2.京都 大文字の送り火騒動 に見た日本の情報社会のほころび


From Kobe 2011年9月[1]
 1. 鉄の歴史に 今の生き方を考える
          関東大震災の復興・原発事故の収束の試行錯誤が続く中 世界を覆う不景気 政治はあいもかわらぬ荒廃
   そんな中で ふっと頭に浮かんで 読み返してみた 鉄のはなし
地球に鉄がなければ人類はいきてゆけず、 なにより地球さえも存在しなかったとさえ言われている。
本来 鉄は水に溶けないのですが、本当に極々少量の鉄が海にとける。
このごく微量 水に溶ける鉄がこの地球の歴史ドラマを作ってきたと聞く。       
この話はほんとうなのだろうか・・・・
岩波科学ライブラリ 「鉄学 137億年の宇宙誌」より

「森が沿岸の海・魚を育む」と言われますが、これは土中の鉄分と腐葉由来の酸が結びついた有機鉄が水に溶け出した効果だという。
シベリアの大河からの流氷が豊かな恵みを与えるのはそのためだとも理解される。
また、日本沿岸海域で、海藻群落が消失する磯焼けと呼ばれる現象が生じている。
これも溶存鉄の不足などの要因によると考えられている。
自然界においては森林の腐植土中に含まれる腐植物質(フルボ酸、フミン酸)が鉄イオンと結びつき、溶存状態で川から海へと運ばれ、
植物性プランクトンはそれを吸収することで増殖する。
海水中の鉄濃度の低下は、このフルボ酸鉄・フミン酸鉄の供給量が護岸工事やダム建設といった人為的な原因で減少することで生じ、
これが海藻群落の消失へとつながると考えられている。
このような豊かな海の形成に陸上で育まれた「鉄分」が重要な影響をもたらす一方で、
最近、海の生態系を研究する専門家の間で「鉄と温暖化」の関係が俄かに注目を浴びています。
  1. 世界の海には植物性プランクトンの栄養分を大量に含みながら、植物性プランクトンの生息が非常に少ない海域がある。
  2. 植物性プランクトンの光合成には鉄分が必須。
  3. 鉄分の少ない海域に砂鉄などを加えることで、植物性プランクトンが増加。
  4. 増えた植物性プランクトンがCO2を消費吸収。
  5. 大気中のC02濃度が下がり、気温も下がる。
一説によると鉄分が不足している海域をうまく活用できれば、年間17億トンものCO2吸収が期待でき、人類が年間に発生させている全CO2の約2割が削減できるとしています。
また、約20年前のアメリカの海洋学者ジョン・マーチン博士の研究によると30万トンの鉄を植物性プランクトンの増殖に100%利用できたら毎年蓄積される二酸化炭素の半分以上に相当する約65億トンを有機物や酸素に変換できる[21t(co2.t/Fe.kg)]という試算を出しています。 日本の場合、CO2排出量は約12億トン/年であるから約6万トンの鉄が必要となります。
               (日本の人口を1億2千万人とすると0.5kgFe/人となる。)
ややもすると地球上の生態系の頂点に立つとして 横暴な振る舞いをやってきた我々。
「今 原子力・原発をどうするか・・・・・」が大きな課題になっている。
「今 人が制御できない技術である」ということが判った以上これを使い続けることは許されない。
同時に何度も聞かされてきた体制維持の決まり文句
「電力がたらない。 経済が破壊される。 今の生活が守れない」との声が渦巻いているが、本当だろうか…
人の知恵・歴史がこの「体制維持のむなしさ」と「自分にとってはどうも 別物」であることをことごとく覆してきた。
運命論は好きではありませんが、地球の流れにさおはさせぬ。さおさすことなく 前を向いて 今の生き方を決めねばならない。

「鉄が大きく育んだ地球 この鉄の恩恵にあづかって 
    我々は 地球上に住むあらゆる生物との共生の中で生きている。」
 このことを忘れることなく 現代を生きることが今 求められている。

       東日本大震災の復興・原発事故収束の試行錯誤が続く中 
       世界を覆う不景気 政治はあいもかわらぬ荒廃
  そんな中で ふっと頭に浮かんで 読み返してみた 鉄のはなし
  岩波科学ライブラリ 「鉄学 137億年の宇宙誌」より
                                                     2011.8.28.     from Kobe  by Mutsu Nakanishi
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From Kobe 2011年9月[2]
 2.京都 大文字の送り火騒動に見た 日本の情報社会のほころび
暑い暑い夏 8月16日 今年も京都五山の送り火を見に行こうと思っていたのですが、
陸前高田の被災松から作った薪のセシューム騒動で いっぺんに思いがしぼんでしまいました。
五山の送り火騒動 本当に危ないのか 危なくないのか・・・・
つい 500mほど歩いて京大へ行けば、それこそ日本の原子力の学者が多数いる。
聞きに行けば、正しい生の情報がすぐ手にはいるのに・・・・・
あえて権威・専門家とはいわないが・・。その学者たちはこの騒動をどう見ていたのだろうか…・
わあわあ騒いだ人たちも、事が終わると今度は自分たちは被害者だという。
一体どうなっているのか・・・・・おかしいことだらけである。
情報なんて探せば「右という情報もあれば 左という情報もある」
都合よく一方の情報ばかり集め、それを情報媒体に乗せれば、簡単に操作ができる時代。
「 我々はそれにのせて踊らされているのではないか・・・・・。 
     でも 日本では その中に入って踊っていないと つまはじきにされてしまう。  」
日本の情報社会の危うさのほころびが見える。

日本では情報過多の中で何が正しいのか 人それぞれがまったく理解も判断もせず、鵜呑みのまま、みんなが引きずられてゆく。 
なんで こんな浅い情報鵜呑みの社会になってしまったのか…・ 

IT・ITと叫べば、情報操作の疑いもなく、どこよりも早く広く情報が伝達・入手される。
それこそどんな情報もすぐ手に入り、また それを捨て去るのにも何の抵抗もない時代 学習も判断も必要としない。
「トゥイッターだ フェイスブックだ」と携帯電話かPC一つ持てば 情報が好きな時に好きなだけ手に入る時代。
「日本の情報社会は最先端を行っている」とみんな思っている。
でも ふっと立ち止まると・・・・・あれ、つい先日まで、

「セシュウムは空にまき散らされていない。外国人の日本脱出は大げさ。
    風評被害だ。チェルノブイリほどの事故ではない。 避難も一時的だ」と言っていたではないか・・・・・。
「物づくり日本 その技術は世界一と信じ切っていた日本。 
    それが今 欧米諸国のみならず、韓国・中国そして 東南アジア諸国に負ける構図が頻発である。」
「トゥイッター フェイスブック」など本来 個人的なつながりの中で 情報を共有するネットワーク媒体であるのに、
意図的にそれを飯のタネにし、人を雇って意図的な情報を流し、意図的な方向を作り出す人たち・メディアがかる。
国・経済界等指導者と言われる人もそれにはまっていると見える。 
古い言葉でいう「さくら」の横行。 日本社会の方向までが、この「さくら」情報によって恣意的に動かされている。
日本の指導者までもが、それをよしとしているのは どうゆうことだろうか・・・・・

「あの人が言うからわたしも・・・と情報判断力を人に頼ってきた日本」 
IT・情報の猛烈な過多の中で 人に頼っていてはどうにもならなくなっている。日本の情報社会にほころびがみえる。
「IT社会」「情報社会」「科学技術」が悪いのではなく、それを使う「人」の方の課題である。
「情報」を見抜くこと 数多くある情報を取捨選択して判断する力が 日本では今本当に衰えている。
情報判断力育成のプログラムと教育に早く取り組まないと 今以上におかしな社会になってしまう。

いま この問題に一番熱心に取組んでいるのが「コンピュータ」だという。
コンピューターが 数値的なルールが決まっている世界 囲碁・将棋やチェスの名人を打ち破って話題になって久しく、
パソコンがすでに名人クラスになっている。
ところが、コンピューターは「クイズ」の世界になると全く歯が立たなかった。
それが、今やパソコンが質問の内容を理解し、質問のキーワードを探し、過去のデーター蓄積をから答えを取捨選択して 
答えを見つけるという。コンピューターが毎日学習し、今では クイズ番組の名人とそこそこ太刀打ちできるようになった。
我々は今後 情報分析にとどまらず、毎日の行動の判断を手にした携帯端末・コンピューターに頼らねばならぬのか。
「そのまま信じていいか」と携帯端末に問いかけ、判断してもらうモルモットの時代がくるのだろうか・・・
過多の情報をより分け、正しい情報に至る学習が急務なのは パソコンでなく、われわれではないか・・・・と。
そんな 教育プログラムが日本には是非必要だと・・・・・・・・・・・・。
なんか 今年の大文字送り火はむなしく映りましたが、
来年はまた、新しい気持ちで大文字の送り火を見たいと 

                                               2011.8.28.     from Kobe  by Mutsu Nakanishi
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2011.9.5.  from Kobe 9月   1108kobe00.htm  by Mutsu Nakanishi