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鍛冶神 大己貴命の伝説の地「神出」の信仰の山 雌岡山・雄岡山 Walk  2011.3.11.

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1.【参考】神出の古代伝説 & 古代 日太最大の巨大窯  神出古窯跡群   1104kande10.htm
 
  1. 古代伝承の地「神出」 雌岡山・雄岡山伝承
1. 「神出」の由来となった雌岡山とその山中にある裸石神社・姫石神社 .
2. 雌岡山 山中 縁結びの神様 裸石神社と姫石神社
3. 「赤石伝説 -明石の地名由来-」 雄岡山・雌岡山
4. 雄岡山・雌岡山の高さ比べと金棒池の伝承
5. 弁慶と金棒池
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. 2. 古代では日太最大の巨大窯 神出古窯跡群


 1. 古代伝承の地「神出」 雌岡山・雄岡山伝承
 
                  神出南から眺めた雌岡山と雄岡山  2011.3.11.
 

1-1 「神出」の由来となった雌岡山 と その山中にある裸石神社・姫石神社
神代のころ、大己貴命が、三角錐の秀麗な山 雌岡山上に天降りして、ここで百八十一柱の神々を生んだので、この地を神出というようになったと伝えられる。
そして、後に雌岡山の頂上には素盞嗚尊、奇稲田姫命 大己貴命が祀られて神出神社がとなった。また 下記の異説も伝承されている。
 
   . ■ 神出神社の社伝では
素盞嗚尊、奇稲田姫命がここに降臨遇会し、両神は薬草を採取し住民の病苦を救い、禁厭(まじない)を教えて災厄を祓い農耕を指導奨励された。 
また、二神の間に多くの神々が生まれたが、大己貴命がこの地で誕生されたことから、この地を「神出」という。 
大同4年平城天皇諸国を巡幸の際にこの地に立ち寄られ、神代の古事をしのび、三柱の神を勧請祭祀されたのが「神出神社」の起こりであるという。
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■ 渡来の鍛冶集団忍海部造が開発し、「金出」=神出となったという説雌岡山は人工的に掘られた穴が多いので、忍海部造の採鉱冶金族が開発した山で、「金出」=神出となったという説もある。
(雄岡山の東側の谷押部谷は大和葛城山麓の渡来鍛冶技術集団忍海氏の進出地との伝承があり、押部谷の地名もこの「忍海」に由来するという。)
 

      神出神社  
 祭神は素戔嗚命・奇稲田姫命・大己貴命
 大同4年(809年) 平城天皇の勧請により建立
また、神出では平安時代「罐子(かんす)」と云う茶釜を作っていた鍛冶の郷だったという。
また、この地域一帯は、平安時代から鎌倉時代にかけて、須恵器生産が盛んに行われていました。
現在約100基余りの窯跡の存在が確認されており、「神出窯跡群」と呼ばれている。
「神出窯跡群」で製作された須恵器は各地に送られ、東北から九州にまで分布しているという。
 
1-2 雌岡山 山中 縁結びの神様 裸石神社と姫石神社
景行天皇の頃、九州の熊襲を討伐しょうと、大和を出発した日本武尊がこのあたりに来た時、雌岡山に立ち寄った。
山上で勝利を祈り、「スサノオノ神よ。無事に熊襲を討ち取ることができるなら、この石を羽根のように軽く飛ばせて下さい」と、一つの石を蹴った。
すると、大きな石が羽根のように高々と舞い上がり、落ちてくるときはガラガラッと雷鳴のような響きをあげた。
そこで人々は、それを雷鳴石と呼んでいたが、いつしかライ石(裸石)と呼ぶようになった。
これが、裸石(らいせき)神社の始まりである。
裸石神社のすぐ横の山腹におおきな岩が御神体の姫石神社がある。見ようによっては女性自身にみえるので「姫石」という。
裸石・姫石神社は雌岡山の中腹にあり、いずれも雌岡山の奇岩(磐座)が御神体で、赤石伝説や神出伝説とも結びついて
この神出の縁結びの神様として 今も親しまれている。 
 
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裸石神社 
姫石神社 
姫石神社の御神体 姫石 磐座か?
1-3.「 赤石伝説 -明石の地名由来-」 雄岡山・雌岡山
その昔、雄岡山と雌岡山は、遠くから眺めると子牛の角のように見えたことから、男牛(おご)、女牛(めご)と言われていた。
それが、雄子尾、雌子尾となり、やがて雄岡(おっこ)と雌岡(めっこ)になったといわれる。
神話によると、雄岡と雌岡は夫婦の神で、男神の雄岡が小豆島の美人神に惚れたことから、妻が止めるのもきかず鹿に乗り会いに行った。
その途中、淡路の漁師に弓を撃たれ、男神と鹿は共に海に沈んでしまった。
すると、鹿はたちまち赤い石になり、ここから「赤石」→「明石」となり明石の名称の起こりとも言われている。昔は、雌岡山の神出神社から小豆島が見わたせたといわれる。
 
1-4. 雄岡山・雌岡山の高さ比べと金棒池の伝承
その昔、雄岡山と雌岡山が、金棒を芯にして土を盛って高さ比べをしていたところ 雄岡山の金棒が折れて、二つの山の間にささり、その跡が金棒池になった。
そのため、雄岡山(標高241m)の方が雌岡山(標高249m)より8m低くなった。
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1-5.弁慶と金棒池
雄岡山と雌岡山を庭の築山にしようと考えた弁慶は、二つの山の間に立ち、
持っていた金棒の両端を雄岡山と雌岡山に突き刺して持ち上げようとした。
金棒は、弁慶の肩の上でしなり、ついに折れてしまった。
この時、金棒の落ちた跡に水がたまったのが金棒池である。

池の中には小さな二つの古墳があるが、
これは弁慶の足跡だといわれている。


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2.古代では日太最大巨大窯 神出古窯跡群 
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神戸市西区神出(かんで)町で、国道175号神出バイパス建設に伴い発掘調査を行い、100基を超える古い窯跡が出土した。
この辺り一帯は、神出古窯址群と呼ばれ、平安時代末〜鎌倉時代の須恵器や瓦の一大生産地。
長さ13m、幅3mの大きな窯もみつかり、大窯の規模は、古代の須恵器窯としては、日本最大級。 
また、神出古窯址群中、最古の窯も発見され、同古窯址群のルーツをたどる大きな手がかりとなっている。

備前焼・丹波焼などの中世六古窯とともに、我が国の中世窯業を代表する生産地の一つで、

恵器(すえき)と呼ばれる土器、そして瓦が生産された。「
東播系中世須恵器」とも呼ばれる須恵器の鉢は鎌倉時代にかけて大量に生産され、関東から九州に至る広い範囲に流通し、各地で料理に使われた。 
瓦の方は、平安京の寺院からの注文だったようで、京都の鳥羽離宮や、東寺、尊勝寺などの屋根を飾っていたことが、発掘調査で確かめられている。

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神出窯跡群の発掘調査 と出土した須恵器・瓦
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1104kande10.htm      2011.4.5.  by Mutsu Nakanishi