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 奥播磨 恋文川源流 たたらの郷「 小茅野(こがいの)集落 」を訪ねる
   1.かつての千種と山崎を結ぶ千種鉄の道 土万三差路から 恋文川を遡って小茅野の集落へ
   2. 恋文川源流 小茅野川沿いの県道520を行き止まりまで詰めて小茅野集落へ
   3. 白口峠の展望所から小茅野集落の全貌 そして 岡山・兵庫国境の山々の素晴らしい展望

 1. かつての千種と山崎を結ぶ千種鉄の道 
        土万三差路から 恋文川を遡って小茅野の集落へ
「小茅野」と書いて「こがいの」と読む。
奥播磨を南へ流れ下る恋文川の源流 宍粟市旧山崎町の西北端に佐用町旧千種町に接する山間の中に小茅野集落がある。この小茅野集落の直ぐ東の谷筋に小茅野後山たたら跡の印を兵庫県の遺跡図で見つけた。
かつて教えてもらったが、場所がわからなくて、気になっていた製鉄遺跡小茅野製鉄遺跡である。また、千種川へ流れ込む「恋文川」の名もロマンティックで、たたら探しに一度周辺を歩きたかった場所である。
古代から「千種鉄」・「宍粟鉄」の大製鉄地帯で数多くのたたら跡が点在する奥播磨(西播磨)の大製鉄地帯の中心部。 
私にとっては 周辺部にはたたら遺跡を訪ねたり、四季折々の花を訪ねたりする場所でもあるが、この恋文川沿いの谷には入ったことがない。
遺跡地図を見るとこの集落の北側の山間には 古代 金屋子神が降臨した伝承地岩野辺・千種。
西側の分水嶺を挟んで向こう側を千種川が南へ流れ下り、佐用の製鉄遺跡群が点在する。
また、東側の分水嶺の向こう 黒尾山の山麓には かつてのたたら跡・砂鉄採取跡 野々隅原。地図で見るとこの小茅野の集落・後山たたら跡も野々隅原と同様 山腹が削りとられて できたような地形で、砂鉄採取の原のイメージがある。


7月20日快晴の暑い午後 奥播磨 宍粟市南光町のひまわり畑を見に行った帰りに 車で 恋文川沿いを遡ってたたらの郷「小茅野・こがいの集落」を訪れました。
北播磨の中国山地を分けて揖保川が南へ流れ下る山崎。その山崎から北西へ中国山地の山腹を切り裂いて東西に走る山崎断層帯の山中を県道53が真っ直ぐ佐用・千種へ伸びる。
切窓峠を越えて,佐用町旧三日月にはいって土万三差路
ここが恋文川流域を遡って「小茅野」へ至る入口で、県道53から分岐した県道154が恋文川に沿って遡ってゆく。
地図で見るとこの恋文川流域の最も大きな集落「土万」はこの道を1km弱遡ったところで、ここから更に北へ狭い谷筋を延々と曲がりくねりながら 塩沢・大沢の小集落を経て奥へと遡って行く。そして、一番奥小茅野の入口のところで二つに分かれた右の谷筋を県道154は鷹巣から千種へと続く。
一方、ここから右手の谷へ県道524が伸び、小茅野集落・小茅野後山製鉄遺跡の周辺で通行止めになっている。 
昨年 訪れた直ぐ近くの野々隅原への道が県道546ですごい道だったことを考えるとすごい道かもしれないなあ・・・・と。
この土万の三差路を恋文川流域に入らず、そのまま橋を渡ると宍粟と佐用との分水嶺 八重谷峠を越えて千種川が流れ下る下三河のト字路に出る。

 土万三差路 県道53と恋文川沿いの谷を北に遡って
   小茅野・鷹巣方面へ行く県道154との分岐
 千種から地塩峠越で東山崎 西佐用を結ぶ千種鉄の道の要衝
この下三河の辻で北に千種川を遡る県道72号線が千種へ延び、県道54号は南へ千種川沿いの河岸段丘が続く旧南光町西下野・漆野へと下ってゆく。土万三差路から北へ恋文川を遡っても千種へゆけるが、
現在千種へのルートはこの下三河から千種川沿いを遡る県道72が本道で、私も何度か通ったことがある。
インターネットで調べても 土万三差路から恋文川を遡るルートについては 地図に記された道しか記載がなく
行ってみないとよくわからない。インターネットで「小茅野集落」のホームページをみつけ、これで一安心。行けると。
また、かつて千種と山崎を結ぶ本道は土万から恋文川を遡り,塩山集落から真っ直ぐ北へ地塩峠を越えて、
千種川沿いの下河野へ下り、そこから千種川沿いを千種にいたったという。
なお、小茅野集落の東側の分水嶺 白口峠周辺に「山崎アウトドアランド」が開設され、東側の谷筋「山崎町上ノ」の集落から林道が延びていて、この道の方が広く安全に通行でき、生活道路はむしろ こちらでは・・・と思いました。
(小茅野集落を訪れた帰りにこちらから帰って そんな感じを受けました。)
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佐用町旧南光町林崎の満開のひまわりを見学した後、千種川沿いの県道54を東へ戻り
土万三差路から、北へ県道154 志文川をさかのぼり、小茅野の集落へ

   南光町林崎 千種川河岸段丘を埋めるひまわり畑とひまわり畑の横を流れ下る南光町漆野の千種川 2010.7.20. 
7月20日(火)梅雨が明け、快晴の平日の午後 佐用町旧南光町林崎の満開のひまわりを見学した後、千種川沿いの県道54を東へ
戻り、下三河から峠を越えて 20分ほどで土万三差路へ。
ここから北へ、千種川水系の恋文川沿いの谷をさかのぼる県道154を北へ小茅野の集落へ向かう。
この谷筋には川に沿ってくねくね曲がりながら奥へ続く道筋に点々と小集落・たたら跡がつづくたたらの里。 
インターネットや地図で予備知識は入れたが、どこまで入って行けるのか・・・行ってみないと解からない。
土万三差路を左へ 谷筋に入ると直ぐ横にこの谷筋を下ってくる恋文川 細いがしっかりした県道154を遡る
土万はこの谷筋で一番大きな集落で道は土万小学校の横を通って 集落を抜け、更に奥へと続く。

         土万三差路を左へ 谷筋谷筋に入って直ぐ 路際の高台にある土万小学校の横を抜けてゆく

土万三差路を北へ
恋文川に沿って土万小学校の横を北へ抜けてゆく

  恋文川沿い小茅野への谷筋周辺の衛星写真
塩山・大沢集落から左手 かつての「千種鉄の道」地塩峠への分岐    2010.7.20.
 左角に「史跡 千種鉄の道」の石碑と消えて何も見えない案内板が建っている
  千種・塩地峠へは左 でも途中の谷筋で車道は途絶え千種への塩地峠越の山道
 小茅野への路は右手奥に県道が更に続く
土万集落を抜けると道は川に沿って、狭い谷合いをくねくね回り込みながら山際を奥へ進む。
山に挟まれた中央を恋文川が流れ、両側に狭い耕地が続く。
何とか車が行き違える程度の道で、道に沿う山際にボツボツと家があるが、人影や行き違う車はまったく無し。程なく塩山・大沢の集落域にはいり、正面に自動販売機が並べた商店が建つY分岐で、左の谷筋にも細い道に沿って 家並みが見える。
このY分岐左手の道端 消えてしまって何も見えない案内板の横に「史跡 千種鉄の道 塩地峠」の石碑と古い道標が建っていて、ここから左手の谷筋をつめてゆくと
地塩峠を越えて千種へ至るかつての街道筋と知れる。

小茅野への路は右手奥に更に続くが、ここから先は少し道が狭くなり、

大沢集落を抜けると一層谷筋は狭まり、道も車一台がやっと通れるほどになる。谷筋も一層狭まって林の中、視界がまったく利かなくなり、深山に分け入ったと。おそらく、この先には人家が途絶えるためとおもわれるが、路には 時折 山腹から落ちた石や枯れ枝が散在している。
いよいよ谷の奥 一寸 小茅野まで行き着けるだろうかと不安になる家内に、
「行ける 行ける」と。
地塩峠への分岐に建つ石碑

大沢集落を抜けると人家がなくなり、深山の中の狭い谷筋に続く一本道  谷のドン突きに 2010.7.20.
  
  谷のドン突きでT字路 左県道154 鷹巣・千種 右県道520 小茅野・山崎アウトドアランド 2010.7.20.
        . 谷のドン突きでT字路になり、県道154は左に折れ、鷹巣集落を経て千種へ抜けてゆく。
ここからいよいよ県道520 益々道は益々細く、車も人家も全く見えぬ山中 小茅野集落へのドン突き道が始まる。 
遡ってきた恋文川も左手の県道154側の谷筋から、90度折れ曲がって南へ流れ下る。
また、ここで、右手の谷から小茅野川が水しぶきを上げて合流する。
恋文川の源流部 小茅野の集落も近いはずであるが、深い山の中 まったく谷筋以外に視界がきかない。 
     かつてこの周辺は奥播磨の製鉄地帯 幾つもたたら場があり、鉄を南の山崎へ運ぶ街道筋だったのだろうが、
          今はまったくの深山   人っ子一人通らぬ静まりかえった山中である。
かつて この周辺は奥播磨の製鉄地帯 幾つもたたら場があり、鉄を南の山崎へ運ぶ街道筋だったのだろうが、
今はまったくの深山 人っ子一人通らぬ静まりかえった山中である。

               小茅野へ 小さな谷川 小茅野川沿いを登ってゆく県道520
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1008kgino01.htm 2010.8.5.   by Mutsu Nakanishi