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インターネット検索資料レビュー  英国のストーンヘンジ (巨石環状列石)          0912igirisu01.htm

1. ストーンヘンジ(stonehenge):(ソールスベリー平原のストーンヘッジ)

    英国ロンドンから西に約200キロのソールズベリー平野にある欧州で最大規模の巨石記念碑
                 イギリス ソールズベリー平原にあるストーンヘンジ  紀元前2500年から紀元前2000年頃作られた
 
ストーンヘンジ(Stonehenge)は、円陣状に並んだ直立巨石とそれを囲む土塁からなり、ロンドンから西に約200kmのイギリス南部・ソールズベリーから北西に13km程に位置する。現在のイギリス人、アングロ・サクソン人がブリテン島に移住した時にはすでに存在し、紀元前2500年から紀元前2000年の間に立てられ、それを囲む土塁と堀は紀元前3100年頃まで遡るといい、イギリスにアングロサクソン・ゲルマン人が入ってくる前のケルトの祖先の遺産と考えられる。
日本のストーンサークルは縄文中期の4500年前頃から縄文後期3500年頃に作られ、英国ストーンヘンジとほぼ同時期である。
また、イギリスにはこのほか 各地にストーンサークルや巨石遺構が残っており、これらの巨石に謎の渦巻き文様が残されている。 
時代はずっと下るが、ケルトの渦巻き文様として数々の遺物にこの渦巻き文様が受継がれてきたことも興味深い。

         ストーン ヘンジ 復元イメージ図     ストーンヘンジ 中心部の組石
馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、
直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。
夏至の日にヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、
設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。
また、当時としては高度な技術が使われており、倒れないよう安定させるため石と石の間には凹凸がある。
遺跡の目的については、太陽崇拝の祭祀場、古代の天文台、ケルト民族のドルイド教徒の礼拝堂など、
さまざまな説が唱えられているが、未だ結論はでていない。
→ N
ヒールストーン
サークルの中心から
北東にあるヒールストーンを見る
外側に並ぶサーセン石と
内側背の低いブルーストーン

 

1.1.  最近ストーンヘンジ 骨の放射性炭素年代測定から埋葬地だったことが明らかに

このストーンヘンジの土塁で円形に囲まれたすぐ内側には土塁に沿って、数多くの竪穴群がある。
ここで見つかった骨を最近、放射性炭素年代測定法で測定したところ、ストーンヘンジの建造が開始されたのとほぼ同時期である紀元前3000年ほど前のものであることが判明。
また、同じ竪穴群の中から他にも骨が見つかっていることから、建造物の完成後も紀元前2500年頃まで埋葬場所として使用されていたと考えられるに至った。 
従来は、ストーンヘンジが埋葬地だったのは紀元前2700〜2600年ころの期間だけだと考えられてきたが、火葬された3人の遺骨に年代測定から、それらの遺骨が500年間にわたる長い年代にわたっていることが判明した。
今回の年代測定の対象となったのは1950年代に発掘された遺骨だが、最も古い遺骨は火葬された骨と歯の集まりで、オーブリーホールと呼ばれる56個の竪穴の1つから発掘されたもの。
2番目に古い遺骨はストーンヘンジを囲む溝の中から見つかったもので、紀元前2930〜2870年ころに埋葬された大人の遺骨だという。
溝の北側から出土した3番目の遺骨は、20代の女性のものだと特定された。
年代は紀元前2570〜2340年ころで、サラセン石という巨大な砂岩のブロックが立てられた時期に相当する。
ストーンヘンジ完成後も紀元前2500年頃まで 約500年間にわたる長い年代にわたって埋葬場所として使用されてきたことが判明し、ストーンヘンジは埋葬所であったことが明らかになった。ストーンヘンジは上流階級、おそらく古代の王族の埋葬場所として使われ、ストーンヘンジに火葬で埋葬された人は240人にのぼると考えられている。
 

1.2. ストーンヘンジ周辺 ストーンヘンジ関連遺構が意味するもの

ストーンヘンジと北東部のダーリントンウォールのウッドサークルを結ぶ道の出現  両遺跡を結ぶ祭り
ストーンヘンジ周辺 遺構分布図 
.赤と黒印で示された場所は墓穴を示す
 
【ストーンヘンジ周辺は死者の領域  巨石はその象徴】
ストーンヘンジ周辺はストーンヘンジばかりでなく、周辺に数多くの墓が点在し、初期にはごくわずかな人しか埋葬されていなかったが、その後 王族の子孫が増えるにつれて、埋葬地が一般化していった。 (ストーンヘンジ周辺地域図の赤印と黒印は墓穴である)
【ダーリントンウォール周辺は生者の領域 木はその象徴】 
ストーンヘンジの北にあるこの二条の溝は死者の領域と生者の領域を分ける溝だったのか・・・・ 
ストーンヘンジのカーサス(ストーンヘンジを囲む全長2マイル(約3.2km)ほどの2本の平行な溝)が、紀元前3630年〜3375年にさかのぼることが判明した。この2条の溝の北側 ダーリントン周辺には墓がない。
【死者と生者をつなぐ祭りの存在が浮かび上がってきた】
エイボン川の岸から ストーンヘンジの入口へ至る「The Avenue・道」が見つかっている。ウッドヘンジ・ダーリントンウォール環状集落からエイボン川への道が見つかっており、この二つの遺跡がエイボン川を介してつながる複合遺跡遺構と考えられている。 
● ストーンヘンジと川をつなぐアベニュー 
   ( ダーリントンウオールのウッドサークル→エイボン川 
       →アベニュ→ストーンサークルをつなぐ祭礼の道     )
 

Google earth 衛星写真でみえるストーンヘンジ アベニュ
ストーンヘンジの北すぐ近くにある
Cursus Barrowsと呼ばれる円墳のグループ
周辺には円形のマウンド状の墳墓
(Round Barrow)も数多く残っており、
当時の有力者の墓と見られている
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0912igirisu01.htm    2009.12.5.  by Mutsu Nakanishi