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テキスト ボックス: 2.
弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
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国生み神話の淡路島で、弥生時代後半 卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
倭国から初期大和王権誕生へ 日本誕生の謎を解き明かすかも・・・
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淡路島 淡路市黒谷 2009.1.25. 0903kaito00.htm by  Mutsu  Nakanishi

 4. 私見  朝鮮半島から大和へ     0903kaito04.htm 
       古代 鉄技術伝播の「鉄の道」のルートを考える  
       弥生の大鍛冶工房村 「垣内遺跡」の位置づけ
「弥生時代最大の鉄器工房」「まるで工業団地 弥生鉄器工房」「鉄の道 解明に一歩」「卑弥呼の邪馬台国論争に一石!」などと弥生時代後期の大鍛冶工房跡「垣内遺跡」について、新聞各紙のミダシが踊った。
また、1月25日 の現地説明会には 900人を超える参加者があったと報じられた。
当然ながら、1月25日の現地説明会では 新聞のミダシのようなセンセーショナルな説明があったわけではない。
まだ、発掘された遺物・遺構の解析・分析はこれからだし、調査報告が出るのが、待ち遠しい限りである。
でも すごい遺跡である。ちょっとでも 新聞のミダシに結びつく知見はあるのだろうか・・・・。
出土した弥生の鍛冶工房村が弥生時代後期の日本国内ほかの鍛冶工房遺跡とどんな関係にあるのだろうか・・・
そんな中から「鉄の道」を探るルート そして この淡路島で出土した「垣内遺跡」の位置づけがわかってくるかも知れないと。
さいわい手元には弥生時代の鍛冶炉・鍛冶遺跡を集成整理考察した内容を含む村上恭通氏(愛媛大学 東アジア古代鉄研究所長愛媛大学教授)の大著 古代国家成立過程と鉄器生産」(青木書房 2007年)があり、弥生時代の鍛冶遺跡の流れが詳細に検討されている。
現地説明で見聞した鍛冶工房の地形・鍛冶工房建屋・鍛冶炉・鍛冶工具などの特徴についても 弥生時代国内鍛冶遺跡の流れが詳細に記述されていて、垣内遺跡の特徴と対比させてみました。
村上著「古代国家成立過程と鉄器生産」の考察内容に現地説明で見聞した「垣内遺跡」の特徴とを照らし合わせ、
垣内遺跡の位置づけならびに 古代 鉄技術伝播の「鉄の道」のルートの痕跡が自分なりに垣間みえましたので、
私見として お知らせします。 
ちょっと照らし合わせてみただけで、学問的な検討をやったわけではありませんので、すべて 私の私見です) 
また、follow 資料として下記資料についても あわせて参照しました。
村上恭通著「倭人と鉄の考古学」 
第5回暦博シンポ「古代東アジアにおける倭と伽耶の交流」(2002年 国立歴史民族博物館)
「北陸の玉と鉄 弥生王権の光と影」(2005年 大阪府立弥生文化博物館)
本当にすごい遺跡と私には見えるのですが、 いかがでしょうか・・・・・・
村上恭通著「古代国家成立過程と鉄器生産」より、
垣内遺跡の鍛冶工房の特徴と関係しそうなところを抜き出してみると下記のとおり。

淡路島「垣内遺跡」と日本各地の弥生時代の鍛冶工房遺跡の流れとの対比
村上恭通著「古代国家成立過程と鉄器生産」より
行の左端につけた「」マークは、弥生時代後期の大鍛冶工房村「垣内遺跡」と関連があると考えられる記述にマークしたものである
1. 鍛冶遺構の形態と集落における位置 (「古代国家成立過程と鉄器生産」 P22-23)
1.
一般の住居と同じ竪穴遺構内に作業の痕跡を残す鍛冶工房を検討すると、 
中期以降 しばしば通常の住居よりも大型の竪穴が採用される例がある。
2 後期中葉以降の鍛冶遺構は集落の中心部住宅跡の密集地がはずされ、周辺部で鍛冶遺構が検出される。
3 一集落遺跡内に複数の鍛冶遺構が検出される場合 それらがひとつの場所に集中する例が増加 
・ 北部九州 後期紅後葉から終末   八女市西上ノ山遺跡で5・6軒の鍛冶遺構 
・ 中国地域 中期後半        庄原市和田原D地点遺跡 
・ 近畿丹後 中期後半        京丹後市奈具岡遺跡
4 丘陵斜面に鍛冶工房が営まれる例   
中国山地から日本海沿岸地域における鉄器生産形態としてとらえられる 
中期後半  庄原市和田原D地点遺跡  京丹後市奈具岡遺跡  
後期末葉  安来市柳遺跡
2. 鍛冶炉  (「古代国家成立過程と鉄器生産」 P24-26  P36-44 )
1. 弥生時代の鍛冶炉は大きく次の4つの類型に分類でき、これらの炉が出現する時期・場所に
特徴がある。
 
1類
掘り方を大きくとり、その内壁・床面をよく焼き固め、その中に木炭や土を交互に重ねた防湿目的の地下構造のあるタイプ
 Ta: 楕円形 Tb: 円形 

●Ta: 中期末葉〜後期初頭 福岡県仁王手遺跡 広島県高平遺跡
              徳島市谷之遺跡 
    後期後葉まで、東瀬戸内地域、徳島県域で集中的に展開される

 Tb:  中期末葉〜後期初頭 福岡県安武深田遺跡 徳島市名東遺跡  
         後期後葉〜末葉    阿蘇市狩尾遺跡・湯の口遺跡 
               大分県高松遺跡  
                             高知県西分増井遺跡ほか

●T類の炉は九州北部の炉として出現するが、
   後期以降九州北部にはみられず、周辺部に点在

2類
掘りかたのみで、内壁がわずかに焼けているタイプ 
● 中期末葉〜後期初頭 春日井市赤手遺跡
                その後 九州で一般的な炉となる。 
● 後期以降 九州以外にも広く伝播 V類 W類と並存する場合がある。 
              日本海沿岸で顕著である 
              島根上野U遺跡 安来市柳遺跡 七尾市奥原峠遺跡 
               松山市束本遺跡・北井門遺跡   善通寺市次見遺跡 
              徳島県芝遺跡   高知県西分増井遺跡 大阪府星ケ丘遺跡
3類
ほとんど掘りかたを持たず。床面をそのまま炉として使用するか、 
若干の粘土を敷いて操業するタイプ
  ● 最古例は 中期末〜後期初  京丹後市奈具岡遺跡
  ● 後期以降 香川県下川津遺跡 豊田市南山畑遺跡
4類
掘りかたを持たず。床面をそのまま炉として使用するタイプ
  ● 最古例は 中期末葉  庄原市和田原D地点遺跡
  ● 後期以降 山陰から北陸にかけての日本海沿岸地域で 多数例発見
  ● ひとつの工房内に複数基並存する例が知られている。
  ● 岡山市津寺一軒屋遺跡で焼土面だけが検出されており、
        W類の可能性
              (「古代国家成立過程と鉄器生産」 P40)
このほか 鍛冶具 や 鉄片など出土遺物についても詳細に論述されていますが、
今回 私に特徴見分ける感度なく記載を省略しました。
これらの記述について、★をたどってゆくと垣内遺跡の鍛冶工房と関連のありそうな地域が浮かび上がってくる。
1. 円形大型の竪穴建物の中に複数の床面が炉床タイプのW類の鍛冶炉  日本海沿岸 中国山地 
  庄原市和田原D地点遺跡 京丹後市奈具岡遺跡 山陰から北陸にかけての日本海沿岸地域で多数例
2. 一集落遺跡内に複数の鍛冶遺構が検出される場合 それらがひとつの場所に集中する例が増加
    (これは鍛冶村から専業鍛冶集落への展開の始まりと見える)
  日本海沿岸 中国山地の形態に多い
3. 丘陵斜面に鍛冶工房が営まれる例  
  中国山地から日本海沿岸地域における鉄器生産形態としてとらえられる
     庄原市和田原D地点遺跡   京丹後市奈具岡遺跡  安来市柳遺跡(後期末葉)
4. 一方 北部九州に最初に伝わり 「掘りかた」のある地下構造を有するT& U類の鍛冶炉は
  周辺地域に広がった後期には徳島まで広がり、徳島で大きく展開される。
     どうもこのタイプの鍛冶炉は近接する淡路島 垣内遺跡では出土していない
これらの鍛冶工房の営まれ方や鍛冶炉のタイプを照らしてみると 
特に山陰・日本海沿岸・中国山地の鍛冶炉・鍛冶工房の系譜に見えてくる。
また、瀬戸内の交通の要衝として 男鹿島が正面に見え、右手に播磨であることを考えると
日本海側から、出雲や伯耆・丹後などの日本海沿岸から吉備・播磨を通って大和への鉄の道があり、
その中継拠点として淡路島・垣内遺跡が考えられないだろうか・・・
この連合は 邪馬台国から大和王権へつながってゆくまさに古墳時代の大和連合軍。 
あながち無視できない話である。
朝鮮半島の鉄を独占していた北部九州の時代から 弥生時代後期には山陰の麦木晩田遺跡や青谷上寺地遺跡などの大量の鉄の集積が示すごとく山陰さらには、丹後・北陸を含め、日本海沿岸には安定した鉄の道が存在していたと考えられてきた。
この鉄の道のルート上に本当に淡路島が登場するのか まだまだ 断言はできない。
しかし、淡路島は 古事記・日本書紀に国生み神話として登場している。
大和王権誕生の前夜 淡路島で出土した大鍛冶工房跡にそんな夢を重ねても あながちうそでないと思えてくる。
まだまた 空想 ロマンの世界ですが、新聞の見出しに踊る言葉が事実になると思えてくる淡路島日本最大級の鍛冶工房跡「垣内遺跡」である。
                      2009.2.10.  Mutsu   Nakanishi
 
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【 参考・引用資料】

1. 垣内遺跡 現地説明会資料 「弥生時代後期の鍛冶工房跡」 2009.1.25. 淡路市教育委員会
2. 村上恭通著「古代国家成立過程と鉄器生産」(青木書房 2007年)
3. 村上恭通著「倭人と鉄の考古学」(青木書房 1999年) 
4. 第5回暦博シンポ「古代東アジアにおける倭と伽耶の交流」(2002年 国立歴史民族博物館)
5. 「北陸の玉と鉄 弥生王権の光と影」(2005年 大阪府立弥生文化博物館)

              弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk

      国生み神話の淡路島で、卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
                      【完】
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 弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村  「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
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 国生み神話の淡路島で、卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
1.
    1.1.  垣内遺跡の調査のあらましと遺跡概観
    1.2.  垣内遺跡現地説明会資料 -弥生時代の鍛冶工房跡- 
    1.3.  私見 「大鍛冶工房村」が淡路島で出土した意義 
2. 淡路島に出土した弥生時代後半の大鍛冶工房村 垣内遺跡 Walk
  2.1. 弥生後半の鍛冶工房村 垣内遺跡 全体を眺める 
        瀬戸内海・朝鮮半島へと続く鉄の道を描いて 
  2.2.  2008年度発掘調査中心部  (4)-3地区の鍛冶工房遺跡跡 
  2.3.  尾根筋の上部 遺跡上部 (2)地区から最上部 (2)地区へ 
  2.4.  尾根筋の下方  (4)-1・2地区から遺跡下端 集落の墓地の丘へ 
3. walk  まとめ
現地説明会ほか現地で教えてもらった遺跡情報
4.
私見 弥生の大鍛冶工房村 「垣内遺跡」の位置づけ
朝鮮半島から大和への古代鉄技術伝播の「鉄の道」のルートを考える