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テキスト ボックス: 2.
弥生時代後半  国内最大級の鍛冶の村「垣内遺跡(鍛冶工房跡)」 現地説明会 Walk
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国生み神話の淡路島で、弥生時代後半 卑弥呼の時代の大鍛冶工房村が出土した
倭国から初期大和王権誕生へ 日本誕生の謎を解き明かすかも・・・
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淡路島 淡路市黒谷 2009.1.25. 0903kaito00.htm by  Mutsu  Nakanishi

2. 弥生時代後半の大鍛冶工房村 垣内遺跡 Walk .
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     発掘調査現地説明会に参加  2009.1.25.   0903kaito02.htm


朝 みぞれ混じりの雪で真っ白になった垣内遺跡での現地説明会 
朝早くから大勢の人が詰め掛けていた 2009.1.25.朝夜 
雪が降り、みぞれ混じりの雪になったり、晴れ間が出たり、くるくると天候が変わる1月25日の朝。
遺跡が雪に覆われれば 何も見えないかもしれないと思いながら、
朝9時 淡路島垣内遺跡発掘調査現地説明会に出発。

弥生の鍛冶工房跡が発掘されたままの姿が見られる。それも1つでなくいくつもの鍛冶工房が密集して存在する大鍛冶
工房村である。 こんな機会は本当にまたとない。

 
23日の朝の朝刊各紙には
「弥生時代最大の鉄器工房」「まるで工業団地 弥生鉄器工房」
「鉄の道 解明に一歩」などの見出しが躍り、
朝日一面には「卑弥呼の邪馬台国論争に一石!」と
遺跡のすごさが報じられている。
神戸からは約40km  神戸淡路鳴門自動車道に乗り、
明石大橋を渡れば、30分ほどで、遺跡のある北淡ICにつける。 
現地説明会は10時30分から。
「こんなに早く行って どうするの? 」と家内に言われながら、
「今回は 古代鉄だけでなく、古代史の愛好家で一杯になる」と
早く家を出る。
明石大橋を渡るときには真っ暗になって、みぞれ雪。
高速道路を走る短時間の間にもクルクル天気が変わる。
でも、いつもの冬に比べれば、暖かい。

淡路島・垣内遺跡の位置と行程図 2009.1.25.

  みぞれ雪でかすむ明石大橋 2009.1.25.朝        淡路島の高速道路を南へ 晴れ間が見え出す 1.25.朝
 
みぞれ雪の明石大橋の写真などめったに取れないと淡路島
サービスエリアに飛び込み、デジカメをパチパチやるが、
あまりいい写真は撮れず。
淡路島は通いなれた道。淡路島に入って 大阪湾側の丘陵地
に沿って南へ津名IC。そこから南西へ丘陵地を横断して播磨
灘側にでて、海が見え出したら、北淡IC。

淡路島サービスエリアからは10分ほどだった。
腰につけたGPSロガーを見ると自宅から33km 標高66m 
時刻9時40分。

高速道路はここからの垣内遺跡への道は前日Faxで淡路市教育
委員会から送っていただいた遺跡の位置地図で
場所と行く道筋が確認できたので、迷うことはない。
 
北淡ICを出て、海岸沿いから反転して、高速道路を横切って 
まっすぐ山へ向かって、直線道路をそのまま丘陵地を登って
ゆけばよい。
北淡ICを出て直線道路に出たあたりから、またみぞれ雪が激
しくなる。
垣内遺跡のある淡路市黒谷地区の地図と
垣内遺跡の位置
直線道路がつき、丘陵地にかかるT字路に黒谷の標識と遺跡への案内板の矢印があり、集落を抜けると圃場整備のため掘り返された段々が続く尾根筋の横を道が登ってゆく。
この掘り返された丘陵地全体が垣内遺跡で、少し登ったところに入口があり、集落の人が立ち、現地説明会の臨時駐車場へ案内してくれた。
掘り返され、土が積み上げられた中を進むと、丘陵地の高台の端に駐車場があった。

           みぞれ雪の中 直線道路を東へ 丘陵地へのT字路に黒谷・遺跡への案内板も 
圃場整備に掘り返された五斗長の丘陵地
9時50分 まだ 現地説明会まで30分以上もあるのに もう車で一杯。多くの人の姿が見える。
車をでると遠く海が遠望できるなだらかな広い台地の上で、360度展望が利く。
段々に区切られて、傾斜した尾根筋の台地の中腹で、圃場整備でむき出しになった地面が上方にも、下方にも見える。
あまり登ってきたとの意識はなかったが、随分高いところに立っている。
周りは雪で真っ白。その一角にテントが張られ、その下方に真っ白な地面の上に円形の形で掘り込まれた赤茶色の地面がくっきり。
発掘された竪穴建物跡が幾つか浮きでている。垣内遺跡の中心部である。
円形の竪穴建物跡の回りに何人もの人が囲んでいるのが見えるが、まずはテントへ
現地説明会の受付を済ましに上がって行く。
今朝のミゾレ雪で 垣内遺跡の発掘現場は真っ白 
でも 朝早くから 多くの人が発掘調査現地説明会に詰め掛けている 2009.1.25.
        
遺跡のある場所は 標高約100〜200m 圃場整備が進む尾根筋の台地の上 上にも下にも段々畑が続き
発掘調査で出土した鍛冶工房跡(円形の竪穴建物跡)がくっきり 雪の中から浮かび上がっている
 
テントのところは垣内遺跡の発掘現場が下方に広がる一段上の広場で、そこからは発掘現場全体が見渡せる。
また、段の縁に3張りテントが立っていて、現地説明会の受付と黄色の箱の中に整理された発掘調査で出土した遺物が展示され、
多くの人が群がっていた。受付で署名して現地説明会の資料をもらう。
随分遠くからやってきた人たちの署名があり、報道関係のカメラがいくつかすえられ、
インタビューしている記者の姿も見え、脚光を浴びるこの遺跡の位置づけが垣間見える。
現地説明会の資料には遺跡の発掘のあらまし・遺跡の遺構配置図・発掘された遺構
それぞれの写真と出土遺物が、写真・図とともに 実によく整理されて、
コンパクトにまとめられ、この資料をもって遺跡全体の個々の遺構を訪ねられるよ
うになっていた。
受付の横の机には透明袋に入れられ 整理された出土遺物が黄色の箱に入れられて
並べられ、多くの人が群がっている。
 
ぜひとも見たかった鉄器加工用の鉄素材「大型鉄製品」や数々の鉄製品 そして 
鍛冶工具・土器が並べられていた。
鉄製品は、まだ 出土したままの姿でサビが表面を覆っていて、
形がよくわかりませんでした。

弥生の時代の鉄素材 当時は朝鮮半島の鉄素材に頼っていた時代 実用鉄器製造にかかせない鉄素材はどんなものだったのか・・・
薄い板状の「鉄テイ」では 実用鉄器はつくれない。

厚さのある強い鉄素材が注目されているが、まだ その実態がよくわからぬ謎の鉄素材。 そんな大型鉄素材がこの鍛冶工房でも出土した。

 
写真などでは何度か見たが、イメージがよくわからなかった鉄素材 
今回出土した鉄素材は まだサビにつつまれていましたが、厚さ3cm 長さ約20cm 幅約4cmほど。
これなら鏨加工ではない本格的な鍛冶加工で大きな鉄器ができる。
この成分はなんだろう???鋼だろうか それとも 鋳鉄か・・ 次の分析作業が待ち遠しい。
 
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現地に展示されていた2008年度発掘調査で出土した垣内遺跡出土遺物
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垣内遺跡現地説明会資料に掲載されていた垣内遺跡出土遺物  (上記掲載遺物とほぼ同じ)
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現地説明会はこの広場で開かれるが、まだ 時間があるので、現地説明会資料の遺構配置図や遺構の説明を見ながら

遺跡の中へ。 
弥生の鍛冶工房を発掘調査されたままの姿で見るのは初めてである。

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0903kaito02.htm   2009.3.5  by Mutsu Nakanishi