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北東北縄文Walk 【2】
縄文の森に抱かれて 600を越える土屋根の竪穴式住居群 縄文の村がそっくりそのまま残っていた
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ストーンサークルを取り囲む土屋根の竪穴式住居群 御所野縄文遺跡 探訪
縄文中期後半   岩手県一戸町  2008.10.30..
0902nhe00.htm  2009.2.5.  by Mutsu Nakanishi

  1. 縄文の大集落 御所野遺跡 Walk
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     1.5.  縄文の大集落 御所野遺跡 Walk  まとめ
三内丸山遺跡と並ぶ縄文中期の大集落 御所野遺跡。
日本人の心を映すといわれる広場に墓域・ストンサークルのある広場を取り囲む縄文の環状の大集落の村がそっくりそのまま姿を現した。しかも600を越える竪穴住居群は今までの常識を覆す屋根に土が載っていた。 
写真で何度も見て あこがれていましたが、実際に復元されたその簡素な3角形の姿は本当に美しい。 
縄文の森 自然の中に溶け込んで建つ姿はふっと出雲大社の神殿のルーツを思わせる静かで落ち着いた美しさ
「まぎれもなく土屋根の住居が建ち並ぶこの姿が縄文の集落だ」と確信しました。
 
三内丸山遺跡のストーンサークルが墓の道に直径2m足らずの日時計状
配石遺構が点々と並ぶ。
一方、この御所野遺跡では 雄大な自然の真っ只中 広い台地の中央に
2m足らずの7つの配石遺構が60m内外の環状を作っている。
そして、その外側には祭りに使われた掘立柱建物が並ぶ。
こ文中期のこの小さな配石遺構が次の縄文後期には大きな環状列石・
ストンサークルに発展して行った。
やっぱり、祖先を同じくする集団が共同で祖先を祭り、常に一緒に生活することで再生・共同生活の絆を強めて行った象徴なのだろうか・・・雄大な山野の大自然の中 心地よい落ち着いた気分が広がってゆく。

自分の中にあるこのサークルの記憶が姿を現してくるのかもしれない。
憧れの土屋根の竪穴住居群に出会え 雄大な自然の中に溶け込んだ縄文集落の姿に満足一杯の御所野遺跡探訪でした。
そのうえ 一度見たかった漆の木に残る漆掻きの実物が見られたのも本当にラッキーでした。

また、縄文博物館の裏手でみた数々のボランティア活動・学習の施設とその痕跡が 
隅々にまでよく整理維持されている御所野遺跡の随所に現れていると。
一戸町と一体となって活動するボランティアの活発な活動が垣間見えたのもラッキー。

是非 行ってみたかった御所野縄文遺跡
縄文の森に囲まれ、ほんとうにゆったりとした時間が流れる空間  
「縄文人は 素晴らしい自然の景色が広がる山麓の台地に居住。 そこへ行くと杉らしい景色が見られる」
この御所野遺跡でも ほんとうにその通りでした。

縄文館で帰りのタクシー呼んでもらうと帰りも500円コインの補助。本当に申し訳ない限り。
240円で一戸駅に帰れ、待ち時間なしで盛岡行の岩手銀河鉄道に乗れ、満足一杯の約2時間の御所野遺跡探訪でした。
縄文文化は世界3大文明にも匹敵するといわれる「森の文化」・ 「日本人の心のルーツ」 
今 北海道・北東北の縄文遺跡群が世界文化遺産の国内暫定リストに登録された。
この御所野遺跡も、青森三内丸山遺跡や「縄文漆」の是川遺跡 
ストーンサークルの大湯環状列石・青森小牧野遺跡・秋田伊勢堂岱遺跡
そして北海道の大船遺跡・鷲の木ストーンサークルなどと共に暫定リストに名を連ねている。
これらの遺跡が是非とも世界文化遺産に登録されることを願っています。
               2008.10.30.   だんだん日が西に傾きだした午後3時
                     満足感一杯で 盛岡行の銀河鉄道に乗り込み、車窓を眺めながら
                                Mutsu Nakanishi


 
1.   縄文の大集落 御所野遺跡 Walk   Top
1.1. 東のむら   土が載る縄文の竪穴住居群
1.2. 中央のむら  御所野遺跡のストーンサークル
1.3. 漆の復元人工林
1.4. 西のむら  土が載っていたことを明らかにした焼失住居             .
1.5. まとめ    縄文の大集落 御所野遺跡 Walk


 
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1. 縄文の大集落 御所野遺跡 Walk
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1.4. 西のむら  縄文の竪穴住居に土が載っていたことを明らかにした焼失住居跡

                中央のむらから西側の丘陵地の縁に沿って 南から北へ 北の端が西のむら  2008.10.30.
 
中央のむら・ストーンサークルのところから さらに北西へ少し下って草地から林へ入るとこの舌状丘陵地の先端部で西のむらがあったところである。
ここからは 縄文時代の竪穴式住居が土屋根であったことを明らかにした竪穴式住居の焼失住居が出土したところである。
先端部の一番奥に竪穴住居群が復元されている。また、先端部に近い丘陵地の西端に土屋根の復元住居を再度火をかけ、焼失遺構との関係を調査した実験遺構がそのまま残されていた。
 この焼失実験がおこなわれていたすぐ横の崖で発掘調査が行われていて、現在もこの御所野遺跡の発掘調査が続いていました。

資料によると平成8年 この西のむら周辺から縄文中期末(約4000年前)の上屋構造を復元ができる良好な火災住居が4棟出土し、この遺構の詳細な検討から、全国で始めての土屋根の竪穴式住居のであることが明らかとなった。

 発見された住居跡は炭化材が竪穴住居の輪郭に沿って散在し、それらの炭化材と炭化材の間には焼けた土の層が重なっていた。
この焼失住居の炭化材の層を部材ごとに分け、丹念に観察検討し、それまでの常識だった屋根の構造を覆して、この御所野遺跡の縄文時代の竪穴式住居が土屋根構造であることを明らかにした。
そして これらの調査結果を元に土屋根の御所野遺跡の竪穴式住居群が復元されている。また、復元した土屋根住居に再度火をかけ、焼失状況の確認実験も行われた。


20061126042816.jpg20061126042816.jpg
      縄文博物館に復元された焼失住宅遺構  西のむらから出土した中型竪穴住居の焼失状況
                             http://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-772.html より

                  焼失大型竪穴式住居 DF22 の焼失遺構とその復元 資料「御所野縄文公園」より

                    焼失中型竪穴式住居 DF24 の焼失遺構とその復元  資料「御所野縄文公園」より
 
復元 土屋根竪穴式住居の焼失実験跡2008.10.30.

焼失実験跡のすぐ横の崖では現在もこの御所野遺跡の発掘調査が続けられ、インターネットを調べると 
2008年度のこの調査で、中世の墳墓が出土し、その調査が続いていると。
角が丸みを帯びた「隅丸方形」で、直径10メートル前後。400―500年前に造られたとみられ、
少なくとも3体の人骨も発見されたという。

  ■ 岩手日報 2008.11.15.  http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20081115_11 に記載された記事より



         御所野遺跡 2008年発掘調査現場  御所野遺跡西端部中世のものとみられる墳墓が出土いずれも  2008.10.30.
 

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