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 3.  奥出雲「たたら街道」高速道路「松江道」工事で製鉄遺跡続々 2007.10.13.
雲南市吉田 中世の製鉄炉が4基出土し た「大志戸U製鉄遺跡」現地説明会に参加
2. 雲南市掛合町六重 松江道工事現場へ 
 「鉄穴内鍛冶工房集落遺跡」 
    2.1.  奈良時代後期から平安時代初期の 「鉄穴内鍛冶工房集落遺跡」 三刀屋町 六重

2.2. 13・14世紀頃の製鉄炉が出土した 「堂々内U遺跡」 雲南市 三刀屋町 中野 

三刀屋町六重の工事現場から、南西へ抜けたところが、中世の製鉄炉が出土した堂々ノ内T&U製鉄遺跡でした。
しかし、ここの工事現場をそのまま通り抜けて、製鉄遺跡が出土した堂々ノ内へ行くことはできないとストップがかかる。
地図を見せて、先ほど ターンしてきたT字路周辺が堂々内遺跡周辺と教えてもらう。

来る時に工事現場へのダンプ誘導の監 視員が立っていたところで、
「奥は道路建設現場に入ってしまう」と曲がったところである。
 
鉄穴遺跡のところから5分ほどで、小さな丘陵地をのりこえて、
監視員のいるところに戻る。 

監視員の人が立っていて、工事に出入りするダンプカーなどの交通
整理をしている。
工事現場のほうへ曲がるウインカーを出すが、何も言わずに工事現
場の道へ誘導し てくれる。 行けたんだと。

すぐそばに工事事務所があり、運よく人がいるのが見えたので、
工事事務所に入っ て、たたたら遺跡(堂々内遺跡)への道を聞く。

「この事務所のすぐ奥が 堂々内T遺跡であるが、
 今はもう工事現場になっていて、もう見られない」
 という。 


三刀屋町中野 この奥が堂々ノ内U製鉄遺跡
また、「工事現場を抜けてさらに奥の谷に入った一番奥にもうひとつ発掘調査された遺跡(堂々ノ内U 製鉄遺跡)があるが、 
一人ではいけない」という。地図を出して チェックしてもらった りしたが、
結局「車で先導するから ついておいで。でもなにもないよ」と堂々ノ内U製鉄遺跡まで案内してもらう。

工事事務所から奥は松江道の工事現場ですぐ横まで盛土が築かれているが、
その先は 谷あいが整地さ れていて、道路部の盛土はこれから。
がたがたの工事現場の中を行く。


三刀屋町中野 堂々ノ内遺跡周辺の松江道工事現場 この奥に堂々ノ内U製鉄遺跡があった
 
工事現場の一番奥の突き当たりのところから小さな枝谷が出いて、廃道になりかけの草ぼうぼうの狭い谷筋の道へ入ってゆく。

車に草がバンバン当たって、かつて山口県北東部の「白須たたら跡」を訪ねたときを思い出す。 家内が「車が痛む」と怒りながら、必死で前の車についてゆく。

10分ほど走ってドンツキにちょっと 広くなった場所があり、そこで車が止まる。

ちょと広くなっているが、ここから先 にはもう道がなし。

かつてはこのまま峠を越える道があり、すぐ向こうの吉田村大志戸へ続いていたというが、今はもう廃道である。
奥の枝谷 右の山すその傾斜地に一段高い平坦な場所があり、
そこに青いグランシートがかけられている。
ここが堂々ノ内U製鉄遺 跡の発掘現場。出土した製鉄炉の炉床跡だった。

ここまで来ると まったく人のにおい がしない場所であるが、
かつては人の往来のあった街道がこの谷を抜けて 往来があったのだろう。

事現場の奥の廃道
伸びきった草を掻き分け奥へ

【堂々ノ内U製鉄遺跡 13・ 14世紀頃の製鉄遺跡

          堂々ノ内Uたたら遺跡【1】 奥グランシートがかけられた場所が製鉄炉 手前が排滓場   2007.10.13.
           堂々ノ内Uたたら遺跡【1】 奥グランシートがかけられた場所が製鉄炉 手前が排滓場   2007.10.13.

  堂々ノ内Uたたら遺跡【2】 奥グランシートがかけられた場所が製鉄炉 手前が排滓場   2007.10.13.
  たたら場の平坦地の右手傾斜地の下から江戸時代の屋敷跡が同時に発掘調査された
  
この堂々ノ内Uたたら遺跡周辺には まだブルドーザーが入っておらず、草ぼう ぼうの発掘調査されたままの状態。
製鉄炉は山すその少し高台になった位置にあり、その前が緩やかな傾斜で排滓場 になっていて、製鉄炉部分には青いグランドシートがかけられている。インターネットから採ったこの遺跡の概要図を見ながら、製鉄炉の場所と周囲の谷筋の関 係を確認する。
すぐ脇この高台の傾斜地の下に発掘調査された場所があったが、後で教えてもらったのですが、江戸時 代の屋敷跡で、製鉄遺跡とは関係がないが、この地が長く街道筋として栄えてきた痕跡だろう。
昔は 三刀屋町中野集落からまっすぐに、先ほど通ってきた廃道をそのまま抜け て南の吉田町大志戸集落へ抜けてゆく文字通り「たたら街道」筋であったというが、今はもう自然帰り。まもなく、この場所を松江道の高速道路が抜けてゆく。


 
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 鎌倉時代から室町時代 中世の製鉄遺跡 「堂 々ノ内U製鉄遺跡」の発掘調査 概要**********************************************************************************************


現地説明会資料 &「たたら」街道 3月号より 
資料によるとここには 炉床を粘土貼りした鉄アレイ型の製鉄炉があり、保存状態の良い炉床と多数の炉壁片が見つかったので、中世の製鉄炉の状況が良く復元できるという。また、 この堂々内U製鉄遺跡に来る道へ入るところ周辺に堂々 内T製鉄遺跡があり、ここからも製鉄炉1基が出土したしたが、すでにもう工事で見れなくなっているという。
私には 中世の製鉄炉というと芸北で見た床釣り構造の製鉄炉を中心に炭窯や原 料置き場など諸施設が配置された効率的なたたら場の印象が強いが、ここでは その前のたたら場の様相のようだ。
しばらく、地図や資料と周囲野景色を見比べたり、排滓場周辺を歩いたりして またもと来た道を引き返した。
    工事現場の中を抜けてゆく元来た帰り道(左・中央) と六重への分岐から 堂々ノ内U製鉄遺跡方面への街道(右)  
工事事務所の方には本当にお世話になった。ひとりでは見つけられなかった場所であったと思う。
もう12時前 案内のお礼を言いつつ、中野集落をぬけて 掛合の集合場所 掛 合小学校へ向う。
15分ほどで、国道54号線へ出て、程なく掛合の町にある掛合小学校に到着。集合時間は13時半な ので、
まだ早いので、受付の案内場所は設置されているが、参加者の車はまだちらほら。
参加の登録をして、現地説明会の資料をもらい、先ほど行ってきた二つの遺跡に ついて間違いないか確かめる。
現地説明会が開かれる「大志戸Uたたら遺跡」は狭い山道の谷筋の奥。 
「車で はとても行けないので、車をここにおいて参加者みんなジャンボタクシーに分乗して遺跡に向う」と聞く。
先ほどいった堂々内U遺跡のすぐ 南側ですが、やっ ぱり広い道はなく、狭い道をぬって走ると聞きました。
まだ、時間があるので、昼を済ませ吉田村の菅谷たたらを久しぶりに見に行くことにする。おくれぬよう にせねば・・・・
 
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unnan02b.htm     2008.3.1.  by Mutsu Nakanishi